民生委員の定数? 忙しいの?

民生委員になってから、新聞で民生委員という言葉を見かけると非常に気になる。 最近は100歳以上の高齢者の所在が不明という報道記事で民生委員の名前がしばしば登場した。 高齢者の見守りを民生委員がしている、というもの。 タカさん担当地区では、90歳超が最高年齢で、安否確認もされているので、一安心だ。 担当したばかりで、職務怠慢と言われては適わない。
その記事に、民生委員は440所帯に1名と解説していた。 また、月の半数は、民生活動に関わっているとのこと。
民生委員の定数は初耳だったので、早速インターネットで調査。どうやら東京都区部では、220から440までの間のいずれかの数の世帯ごとに民生委員1人、人口10万以上の市では、170から360までの間のいずれかの数の世帯ごとに民生委員1人名らしい。タカさんの担当地域の高齢者所帯の数は聞いていが、全所帯の正確な数字は聞いたことがない。 その内確認しておこう。
民生委員の活動日数は15日以上だそうだ。 本当? 民生委員になる時は、それほど忙しくないので、是非、なって下さい、と勧誘された。 が、なってからは、自己紹介すると、お忙しいでしょうね、と同情される。 民生委員の仕事を知っている人から言われるので、本当らしい。 だが、正直、まだ多忙との実感はない。 これから大波が襲ってくるのだろうか? ちょっと心配。

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緊急ショートステイは、緊急時でも活用は難しい?

登録生活支援員実習5日目のAさん支援の補足。 通帳再発行と暗証番号調査結果の郵送が一週間後なので、その間、数十円の現金でどう暮らすか? 最終的には一時援護資金の融資を受けて切り抜けることができた。 が、同時に緊急ショートステイの可能性を探った。
ところが、これは断念。 空きがないというのはやむ終えないが、緊急ショートステイに該当しないとも言われたそうだ。 空きがないというのは本当らしい。 地域福祉ネットワークの中心にいる包括のスタッフが確認したのだから間違いない。 しかし、該当しない、と言うのには納得がいかない。 とは思いませんか?
見習い中の生活支援員として、緊急ショートステイとは? が、気になり、インターネットで調査。

どうも、介護する人が病気になった時に、本人を緊急に受け入れる制度のようだ。そういえば、以前特養で実習した時に、30床の特養で、1床を緊急用に空けておくのは、経営的に厳しいという話を聞いたのを思い出した。  この緊急用のベットの空きがないのは困るが、空きのないのが、常態化している可能性もある。 インターネットの情報では、手術の為に直に入院したいが、空きがでるまで、数ヶ月手術を延ばすというような深刻なケースもあるようだ。
Aさんの場合も、瀕死の状態ですか?と聞かれたと、憤慨していたが、受け入れ側が慎重になるのは理解できる。 空きがあるとは言え、突然、見も知らずの病人が担ぎこまれたら、困るであろう。
Aさんの場合は、ヘルパーさんが毎日来てくれれば対応できそうなので、緊急とはいえないのかも知れない。 しかし、Aさんは間違いなく緊急の状態であったと思うがな~。 

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登録生活支援員実習5日目 郵貯銀行の払い出しに同行、思わぬ展開へ(8月4日)

本日は、地域包括支援センター(以降、包括と略)からの緊急要請で、郵貯銀行での払い出しを行う相談員に同行。前回は某都市銀行での定期預金の解約と預金の払い出しを経験。今回は預金通帳を紛失し、キャッシュカードは暗証番号を忘れたため、現金が引き出せないと言うAさんの支援。
Aさんは歩行困難で、判断力も衰えている。自分では郵貯銀行に行けないし、金銭管理も困難。  どういう訳か、ありとあらゆる支払いが滞って、電話は既に停止、家賃3ヶ月分滞納で明け渡しを要求されているとのこと。現金は、家に数十円しか残っておらず、このままでは餓死、という緊急事態だそうだ。

そこで、まずは、Aさん宅近所の郵便局で、通帳再発行と暗証番号調査の申請書を入手後、Aさん宅に出向き、待ち構える包括スタッフとケアマネと合流して、必要な項目を本人の自署してもらって、再度、郵貯銀行に書類を提出する、という予定を立てた。 さて、実際は?

事前に、郵便局に電話で事情を説明してあったので、通帳の再発行、暗証番号の調査、及び印鑑の改印に関する白紙の委任状と記入方法まで順調に終わった。次に手続きの確認中に、重大な問題が生じた。
郵便局に委任状を提出した際に、郵便局から本人に電話を掛けて、委任状の内容が本人の意思かどうかを確かめる、というのだ。 念には念を入れるということ。 しかし、本人自宅の電話は、料金未納で止められた状態。 電話での確認は不可能。 郵便局も便法はないかを調べてくれたが、例外は認められないと言う結論。 自宅へ訪問してくれるサービスもあるが、それでは、間に合わない。 できるだけ早く、現金が必要なのだ。
色々、電話でのやり取りが続いて、結局は、Aさんを車に乗せて、郵便局に来て貰うことにした。 最近は寝たきりなので大丈夫?というところだが、餓死するよりマシ。

次の課題。通帳の再発行や暗証番号は、1週間程度で書留で郵送されることが分かった。 が、本人は寝たきりで受けとることができない。 ならば、不在通知書が残されるので、代理人が委任状をもって、本局まで取りに行くしかない。 誰が郵便受けをチェックするのか? 委任状の書き方は? 等々、抜けがないように何度も頭の中で予行演習。

Aさん到着。包括スタッフとケアマネから詳細状況を確認。 滞納の原因が分かった。 新たに通帳を作って、年金の振込み先口座を変更したので、旧口座の残高が空になったせい。 なぜ新口座を開設したのか理由は不明だが、年金が新口座に入っている可能性が高い。 少なくとも今月15日には、2か月分の年金が振り込まれるので、それまでの辛抱。  だが、辛抱できないものは何? 東電からの催促状を確認すると、つい数時間前に電気が止められたことが分かった。 電気が止められたら、エアコンが効かない。 冷蔵庫も動かない。 酷暑の中で、とても生きていけない。 一刻の猶予もできない。 東電に電話すると、一か月分でも支払えば、通電を再開するそうだ。 4000円を何とかせねば!

早速、通帳再発行と暗証番号調査の手続き開始。申請書は、本人の自署でなければダメだそうだ。 前回の都市銀行でも、同じことを言われたが、何とか切り抜けた。 今回も、色々工夫して、とりあえず申請は終了。 後は通帳と暗証番号が郵送されるのを待つだけ。 その間の一週間はどうする?? まずは、東電滞納分の4000円だ。 誰かが立替えるか? 餓死するのを座視はできない。 セーフティーネットはないのか? あった!  生活つなぎ資金融資の一つである一時援護資金。 所得制限なし、保証人不要で2万円を融資。 一週間後には、年金が入っている通帳が届くので、焦げ付きの心配はない見込み。 早速、市役所の生活福祉課に相談して、融資の了解を得る。 電気代滞納分4000円を支払っても残りは16000円ある、との見通しがたったところで、今後の本人のケアをどうするか、簡単に打ち合わせ。

どう考えても、在宅の独居は難しそう。しかし、施設に入れるにしても、本人の健康状態が不明。 一週間前まで一応歩けていたのに、何故急に容態が悪化したのか? ということで、郵貯銀行から、包括スタッフとケアマネが本人を病院へ、我々は市役所の生活福祉課へ直行。とりあえず、東電へ一か月分の電気代を入金。 帰宅は問題なくできることになった。

この、生活援護資金は、容易に借りることができるので、不良債権化しやすいそうだ。 小額とはいえ、ちりも積もれば山。 税金の無駄遣いは許されない。 特に本人が出頭できないので、(代理人が社協とは言え)厳格な委任状が求められた。 もし過去にこの一時援護資金の返還を怠っていると、このセーフティネットも使えないそうだ。 今回は、初めての申請だったので、本当にセーフティーネットとして機能した。 もしダメだったら、後数時間、知恵を絞ることになったろう、と思うとゾッとする。

今回のケースでは、急激に様態が悪化した本人を囲んで、包括、ケアマネ、社協が必死になって、援護の方法を探した。 悠長に会議を開いて慎重に検討など不可能。 目の前に溺れている人を、どう救うか一刻の猶予もできない状況。 情報も不確かで想像、類推、推理の連続。 家に残された各種の領収書や請求書、手紙などの断片的な情報から、パズルを解くように、滞納の原因から年金の在り処を探った。 鳩首会議の場所が、郵貯銀行の窓口だったこともあり、郵貯銀行のスタッフからも全面的な協力を得た。

福祉の現場は実践力が求められる。 社協の権利擁護事業としては、契約してからと言うのが原則だが、その原則に拘っていると、溺死者の山になる恐れがある。 介護保険の導入で、福祉サービスは「措置から契約」へと移行したが、契約前の対応を柔軟に応急的な措置として行わないと、制度として機能しないことが実感できた。

机上では学べない貴重な半日の経験でした。 それにしてもAさんは、危なかったなぁ・・・。 

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話せば分かる 話さなければ分からない

傾聴の話は、机上でいくらテクニックを勉強しても無駄。 実践あるのみ、とは本当だろう。 実際に、講義では似たような話が多い。 その場では感銘を受けるが、実践の場では忘れている。 要するに何度聞いても、全く身についていないということ。
今回の講義(新任民生委員研修)で特に感銘したのは、この部分。 「話し手」と「聞き手」のイメージのズレが生じるのは当たり前であると承知してコミュニケーション能力を高める。 要するに「話せば分かる」ではなく、「話しても分からない」だから「分かりあえるように話し合おう」ということ。 当たり前の説明だが、今回、これに共鳴したのは、認知の勉強をしたから。 人はどのように認知するかを、脳の仕組みに基づいた説明を受けていたので、素直に、コレを聞けた。
要するに、人間は、自分の知らないことしか理解できない。 人間の脳に収められた知識や経験が千差万別なので、仮に事実が同一としても、人のイメージは各々異なる、ということか。認知症は、この認知のプロセスの一部に異常があって、様々な症状がでるが、健常者でも、(この認知の仕組みが正しいとすれば、)各人のイメージが異なるのが当然。 何故、理解してくれないのだと嘆く前に、分からないことを前提に、だからこそ分かり合おうと努力する事が大事であり、それが傾聴の基本的な考えらしい。

相手が、認知高齢者の場合は尚更である。 まずは、パートナーとの日常会話で傾聴を試すこととするか・・・。 諦めないで・・・・。

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「ありがとう」で救われるか

昨年の2月に、地域社会への参画を考えた。そこで、まず、先輩の地域活動家やボランティアの経験談を聞いた。その説明会で、ボランティア活動では、お金は期待できない。 が、最後に「有難う」と感謝の言葉を聞くと、本当に嬉しい、報われる、やりがいを感じる、と楽しそうに語っていた。 理解はできた。が、本当?との思いもあった。 やってみなければ分からない! その時から、宿題になった。

その答えが得られた。老健で、少々不機嫌そうな、担当相談員によると、全く信頼関係がないという、利用者から、「ありがとう」と言われた。 車椅子に抱えて乗せるて、体を離す寸前、確かに聞いたかすかな言葉。一瞬であったが間違いない。驚いた。そして思わず「やった!」、である。 高齢者には、いつもニコニコと癒し系の人もいるが、一方、不機嫌で無表情な人もいる。 今回の利用者は後者。 全く予想外の言葉、期待していなかった言葉であっただけに、驚きと同時に、嬉しかった。 やはり本当であった。とくことで、宿題はあっけなく終わり。

だが、もし感謝されなければどうであったか? 感謝されない、報われないボランティアもあるのでないか? 「至誠天に通ず」ではないが、利用者に通ずになるか?
社会後見人の基礎講座で、利用者やその関係者から、滅茶苦茶な対応を受ける事例を沢山聞いた。 幾ら誠意を尽くして支援しても、全く感謝されない。もうコリゴリだ、という本音を聞くのは辛い。

ありがとうと言われなければやらないの? お金を貰わなければやらないの? そうは行かないでしょう。 相手が困っているのは事実なのだから。
福祉関係者には。燃え尽き症候群があるそうだ。 真面目にやる人が陥りがちだそうだ。 さて、自分はどうだろう。 神経を図太いか? 宿題の答えは、まだまだ先のようだ。

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